密接と隔離の狭間で見る夢

煌めきの傍観録

じぐれあについて


春はじぐれあ。


言い始めた人は天才だと思う。じぐれあの間に、セクシーサマーにだって積もり続けた雪を、太陽が溶かしていく様はまさに春。


そして彼らのその雪解けは、実際、何故か毎年春の季節に見られる。





今年もまた、春真っ只中だった。





4/16に東京ドームにて行われたジャニーズ大運動会2017、「障害物ダッシュバトル」の障害の一つ、「借りジュニア競走」なるものでそれは起きた。


ゴール前最後の障害、箱の中から引いた紙に書かれたJr.を、60人もの踊るJr.の中から見つけて一緒にゴールする、という天才的かつ変態的な競技だった。




神宮寺が箱から掴み取りカメラに見せた紙には他でもない、「中村嶺亜」の文字。


東京ドームが動揺と興奮、そして期待に揺れた。


ここからはもうCan do can goを踊るジュニアなんか止まって見えた。神宮寺は、最初から立ち位置を分かっていたように思う。どこか苦笑いにも見えるような満面の笑みを浮かべて、一目散に駆け出して、ふたりでゴールテープを切った。触れるか触れないか、控えめに互いの背中に回された腕、それはじぐれあの距離だった。


ゴールの後、嶺亜が神宮寺の腕に軽めのチョップを当てた。神宮寺は気にもとめない。でもふたりとも顔は笑っている。愛想も苦味もない笑みだった。


じぐれあがふたりの世界を作った、一瞬のできごと。





語彙力が著しく欠如している自分を恨んでいる場合ではない。尊い。エモい。苦しい。心がじぐれあで埋まって窮屈になるような感覚。












永遠に同じ景色を見るライバルでいてほしかった、もう叶わないけど。ベタベタしすぎて、小さなことでも揉め事と捉えて気まずくなって。ガラス細工のように脆い絆は、積もりゆく雪に埋もれた。


度を超えた親友みたいだったふたりは、いつの間にか遠く離れた。




雪の下で、あれだけ脆かったガラス細工は割れずにいる。春の太陽と共に雪が解けて、じぐれあは何かを思い出す。


運命に守られて、じぐれあは「特別」になった。




隣に並ぶことだけが運命じゃない、じぐれあは少し形が特殊だろう、それでも壊れずにいることを、春は教えてくれる。







最後に。

神宮寺にも嶺亜にも親友って言われてる羽生田挙武さん、じぐれあを冷やかすことができるのはきっと君だけだから、日本にいる際にはよろしく。